

とても語弊のある言い方であるが、女の値段は下がった。
誤解の無いように言うと女性が軽視されているということではなく、
はっきり言えばセックスを許すまでに女がかけられる値段が下がったという
ことである。
それは景気と比例するもので、世の中の景気が良くなると、女の値段が上が
る。
考えてみて欲しい。
かつて日本で経済が華やかだった時代と言うのは、男は女のためにたくさん
の贅沢を用意した。車からレストランまで、最新の流行と最高の値段。それ
ら贅沢を敷きつめたじゅうたんの上をしゃなりしゃなりと歩いて、女は気が
向くと恋に落ちる。
そうしてよくやくセックスを許したのである。
ところが今の日本はお世辞にも好景気とは言えない。
そうなってみるとどうだろう。
今の世代は「結構いいかも」というレベルでセックスを許してしまうのだ。
しかしはたしてこれがいけないことであろうか?私はそうは思わない。セッ
クスは相手を知るための手段であり、それは目的ではないからだ。
感じのいい男の子とセックスをする。
そうしてもっと感じが良いと判断し、沢山の言葉と体を使って互いを知り、
恋に落ちるのだ。
そこには何の気負いも無い。
いわば本質を見極められる恐い勝負でもある。だから男の子達の女を見る目
は逆に厳しく、かわいいだけでは生きぬけない時代となった。
美しさは分類され、新しいカテゴリを築く女は偉大である。
たいして可愛くもない芸能人が「癒し系」として愛されるかと思えば、手厳
しい意見をするアイドルを「本音トーク」と一目置く。
そんな時代なのだ。
自分には何があるだろう?
本質に美しい部分があるだろうか?
そう問いかけて、心の値段をあげていく。美しくなっていく。
自分の心に贅沢のじゅうたんを敷いて行こう。
だからと言って、外見を全く気にしないのはいけない。
もちろん、自分のなりの最高の美しさを作りあげることが、女であることの
特権なのだから。
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